睡魔と戦う日常

ブログに書きたい事を書きたいように書いてます。

わたし○○部でした~バスケ部/写真部~

今週のお題「わたし○○部でした」

 

ブログのアクセスありがとうございます。

金次郎と銀次郎です!

今週のブログのお題は、『わたし○○部でした』です。

 

【金次郎はバスケ部でした】

金次郎は、中学でバスケ部に所属していました。バスケ部と言えば、思い浮かぶのはモテモテでスクールカーストとやらも上位。そんな事はありませんでした(笑)部長も務めていた金次郎ですが、人数も少なく弱小チームという点だったという理由かもしれません。

顧問も高齢の方で、腰が痛いからお休みなどという展開もありました!部活というより、同好会に近いですね。

金次郎は、ゆるい部活経験がとても大きい経験だった考えています。バスケをきっかけに、色々な人と知り合う事が出来ました。高校ではバスケをやってはいないのですが大学に入り、知り合った人たちと初心者バスケの大会に出場したりしました。ここで、キツすぎずに練習もあまりしないのがポイントです。練習は各自やりたかったらという事にしていました。また、試合後は打ち上げに行き、次の大会の出場の計画を立てるという素敵な流れです。もしかしたら、金次郎が行った部活経験で全員がちょうどいい雰囲気になったのかもしれません!余談ですが、その中に女性はいませんでした…(笑)いつも通りですね(*_*)

 

【銀次郎 写真部でした】

銀次郎が写真部だったのは高校生の時です。

ちなみに写真部の活動に行ったのは初回のオリエンテーション1回のみです。

写真部として写真を一枚も撮ってないですし、カメラも持っていませんでした。

 

いわゆる幽霊部員ってやつですね(笑)

 

銀次郎の高校は”文武両道”というモットーがあり、部活動に属することが強制でした。

そこで選んだのが、幽霊部員でも問題なさそう、という噂を聞いた写真部でした(笑)

 

ちなみに銀次郎が幽霊部員であることを望んだ理由は、放課後、部活よりもやりたいことがあったからです。

 

当時の銀次郎は、様々な地域のコミュニティに参加したり、身体づくりをしたり、独学でピアノを勉強したりと、放課後は結構忙しくしていました。

 

自分でやることを考えて、決めて、行動することを高校生ながらに頑張っていました。

偉そうにしている顧問や先輩の言うことに従っているクラスメイトが”ロボット”にみえました😎(笑)

 

・・・👒

 

もちろんネタですよ(笑)

気づいた方はスターをお願いします★

 

振り返ってみると、写真の1枚くらいは撮ればよかったなーと思ったり思わなかったり…

 

 

【最後に一句】

・金次郎

久々に 部活の思い出 よみがえる

 

・銀次郎

100メーター 文化部一の 革命家・・・

当時の銀次郎は文化部で一番速い男と呼ばれていました(笑)

 

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ではまた次回😈